七左町にお稲荷さんがあり、そこを管理されている方から数年前に額の修理の依頼がありました。
関東大震災で倒壊した建物を再建した際、資金を出された氏子さん達でしょうか、1句ずつ詠んだものを額装してありました。昭和戊辰三年とありますので1928年、今から87年前の作品です。依頼された方は、「今ならビール飲んでカラオケ歌って終わりだろう。当時の方が文化の程度が高かったのではないか」と笑っておられました。
額は、鍵のかかる建物の内側の高いところに掲げられるため、せっかく修理しても普段は目にすることができません。見れば、近辺の方々の、よくお見かけする姓が並んでおりますので、複製を作成し、差し上げたところ大変喜ばれ、その後、何度も複製の印刷のご注文を下さるようになりました。歌を詠まれた方の子孫がご近所に何件もおられるようで、差し上げると喜ばれるのだそうです。
作品のオリジナルは題字の右側に彩色された菊の絵が添えられておりましたが、当時、色彩のある作品の電子化の技術が未熟でしたので割愛させていただきました。高さは書道の半切の幅より大きかったのですが、複製では半切幅に収まるよう、縮尺を調整させていただきました。細い線の部分が点々となって しまっている部分がありますが、デジタル化の際にギザギザになったのではなく、書かれていたのが粗い織物だったためです。大きな紙 が漉けるようになったのは、横山大観の時代あたりから、と聞いたことがあり、それ以前は、大きな作品は絵絹に描かれていたようです。復興の記念と言うこと で、あまり予算が掛けられなかったのでしょうか。手ぬぐいのような織りの粗い布が使われておりました。。
お稲荷さんは、通っていた小学校の近くですので、何度か遊んだことのある、良く知った場所です。
鬱蒼とした木立に囲まれていた記憶がありますが、七左町界隈が区画整理となり、道が付け変わるのに伴って木も伐採されたため、通りからよく見えるようになりました。
写真は近くにできたスーパーの駐車場から見たお稲荷さんの裏側です。突然現れたように見えたのか、どこから移築してきたのが尋ねる人もあったそうです。300年前からそこにあったと答えられたとのこと。